2013年9月22日

「特別ゲスト講座/万田邦敏 画面にしていくことで“気持ち”が見えてくる」

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昨年に引き続き、CO2選考委員でもある万田邦敏監督をお招きして、大阪で制作された『面影』の撮影秘話や映画の今について伺った。

『面影』は、ベルギーを代表する俳優ヤン・デクレールさんを主演に、シナリオの原案を全国から一般公募し、 最終的に選ばれたの案をもとに、万田邦敏監督がメガホンを取った作品。2009年、「第16回大阪ヨーロッパ映画祭」でヤン・デクレールさんが来日した際に大阪で3日半に渡って撮影されたベルギーと日本の合作。

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あらすじ:ベルギーで椅子職人を営むエリックは、大阪のギャラリーで若手アーティストが手掛けた作品に見入っていた。息子ステファンの名前がそこに記されていたからだ。しかし、ステファンが家業を継がず、どうして日本に留学したのかエリックには理解できないままだった。その真相を探ろうと、ステファンがかつて滞在していた町に足を運ぶが、そこでエリックが目にしたのは・・・

 

ゲスト:万田邦敏(映画監督)
1956年東京都出身。中学から高校時代の多感な時期にゴダールの『ウィークエンド』、シーゲルの『ダーティハリー』を見て映画作りを目指し、立教大学入学後は授業そっちのけで自主映画を作る。同大中退後、雑誌での映画評執筆やPRビデオ、深夜ドラマの演出を経て『UNLOVED』(01年)で長編監督デビュー。以降、『あのトンネル』(03年)、『ありがとう』(06年)、『接吻』(08年)、『面影』(10年/ベルギー=日本)と作品を発表し続けている。最新作『イヌミチ』(13年)が公開待機中。現在、立教大学現代心理学部映像身体学科教授。

司会:富岡邦彦CO2事務局長

 

 

●『面影』原案から映画へ。「画面にしていく」ということ

面影の原案は“日本に留学をしていた息子が交通事故で死ぬ。そのお父さんが日本にやって来て、息子が作った椅子を個展で見る”というシンプルな内容だったと言う。

 

富岡:これは映画に出来るというポイントは何でしたか?

 

万田:椅子を通して見えてくる親子の関係を拠り所にして、もう少し発展したお話が立ち上がってくることに期待しました。

 

富岡:“気持ち”を描きたいという企画だったけど、“気持ち”は映像に映らないので、それを具体化するポイントとして椅子があったわけですね。

 

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万田:気持ちを描きたいという作り手の気持ちはよく分かるし、僕も結局そういうことをやっています。
気持ちを表現するのには二つあって。
一つは椅子があって、それは息子が大阪の団子屋のお父さんのために作った椅子だが、仲違いをしたベルギーのお父さん・デクレールさんのことを思いながら作っています。

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その椅子に頬ずりするデクレールさんは椅子が息子のように見える。物を通して見えてくる“気持ち”。

もう一つ、会話や身体の動きで 登場人物同士がどんな距離関係になっていくかで見えてくる“気持ち”。?団子屋の親子が、デクレールさんと息子との関係の雛形としてそこにあって、デクレールさんが団子屋の親子と接する、つまり近い距離感に身を置き、会話することでデクレールさんの気持ちも見えるし、団子屋の親子の関係も見えてくる。実際に画面にしていく、あるいは芝居にしていくことで“気持ち”が見えて来るんですよ。

 

富岡:面白かったのが、“椅子”イコール“息子”と捉えようとしたら、ヨーロッパにはそんな考え方がなかったんです。息子が作ったものだから息子の魂が宿っているというのが、日本人の感覚。でもクレールさんには理解できない。椅子は椅子。椅子を介して天国にいる息子と交信する物でしかなかったんですね。作っている途中でそんな文化の違いが分かったのは面白かったですね。

 

 

●「到達点を考えて演出する」ということ

富岡事務局長から、デジタルが一般化して、よくあるエチュードに近い明確な到達点のないまま撮り、その場で出て来るものに期待するやり方について問題提起がなされた。

 

万田:映画美学校では、以前はフイルムで撮っていましたが、予算が潤沢にあるわけではないから、リハーサルやテストを入念に重ねて、本番はなるべく一回だけ撮るようにしていました。それがビデオになってから、テストから延々撮って、いいところをつまんで編集しようとするんです。一つの画面に対する思いや演出意図が全く変わって来ている。

 

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富岡:テレビの演出でもそういう話はよく聞きますね。何を撮りたいか明確にあると必要なもの以外はいらないけど、何でも撮ると材料だけ増えて最初の意図がよく分からなくなる。万田さんの場合は現場で全体の動きがついた段階で、役者さんが提案する動きを見て瞬時に選択して行くんですね。

 

万田:そうですね。『UNLOVED』ではガチガチに事前に頭で役者さんの動きも組み立てて、決めた画だけを撮って行くやり方でした。映画を作り始めた頃はそれが面白いけど、出来上がってみると何処か窮屈さも感じたので、やり方を変えてみようと。撮影現場で?試して行くような芝居の付け方は、『面影』でもある程度はやっています。芝居の中で関係が変わると芝居が変わって表現されるものも変わってくる。シナリオに書いてあるシーンの狙いがそこでいいのか。違うとなると何処が違うのか探りながらやります。

 

富岡:役者さんには、自由に動いてもらうんですか?

 

万田:無理やり動かすのでなく、動くポイントを見つけるやり方。まず動かないでセリフを言ってもらって、身体がどこかで動きたがってるのが見える。「今ちょっと身体をそらしたんですけど、だったらもっと思いっきり大きく動いてみましょうか。」そんな風にディレクションしていきます。でもその判断が正しいのか、間違っているのか、そこは難しくて、まだ自分でも良くわかっていないところがあるんです。生身の役者さんが動いてしゃべった時に、初めてこのシーンの本当の狙いはこれだったのか、と分かることもあります。

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●最近の映画界の状況について

デジタル撮りが普通になった現在、CO2も含めて低予算の作品がたくさん作られ公開されている。万田監督から、「ぼく自身は身内の自主映画は観ても、見ず知らずの人が作ったものはあまり観ていないので、最近の映画の状況を語る資格があるかは疑問だが」と前置きがあった上でのトークとなった。

 

万田:自主映画を作る人は広がりを求めているはずだと思うんだけど、なんだか完結している感じがして、日本映画が盛り上がっている印象はありません。

 

富岡:上映する側のスタンスの問題もあるが、今までイメージして来た映画とは大きく変容している気がします。

 

万田:ビデオになったときからそういう兆候がありました。今はデジタルになって自宅で編集や音までかなりの状態まで仕上げができます。その事を明確に俯瞰する批評の言葉がないけど、結局今は誰も批評を求めていないし僕も読まない。ネット社会になって、作品の意識がどんどん薄れていくまま、YouTubeで映像が流れて行くみたいな。僕らの時代でいえば、蓮實重?さん以降、強力な言葉で世界を捕まえたい人も、その言葉に捕まえられたいと望む人もいない。デジタルはそういった関係性をなくしてフラットにしたと言えますね。

 

富岡:そこから始まっている人もいますからね。発信することをまず良しとする。
それが他者に理解されるかどうかは別として、思いを共有出来る人とリンクで来ればいいという風に見えます。

 

万田:僕らもそうだったし、表現の欲求は昔からそういうものだとは思います。でも例えば8ミリカメラを持った時に、ただ撮っただけでは相手に伝わらない、ということから色んなことを学んで行く訳です。
表現したい欲求と簡単には表現出来ない技術的な距離の中で試行錯誤して、“映画”というものが段々分かっていきました。
撮りたい、表現したいという時に、すぐ“ボタン押せばいい” “パソコンに撮り込んで画面を切って貼れば”という状況では、“映画って何か”なんて考える暇がない。

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富岡:見せていく、お話として語っていく、他者を説得できるだけの準備をして行くということがすっ飛んでしまう。共感を得る人が何人かいるならばそれでいいと。それが一番危機感を感じるところです。
若い方に聞きましょうか?

 

ここで第2回CO2助成監督の板倉義之監督(『にくめ、ハレルヤ!』)が若手代表としてトークに参加。

 

板倉:カメラや技術的なことだけではなくて、あることを言いたい時に言い方を変えて表現する基本の演出がありますが、そういった工夫や考え方がないから“私はこうなんです”という映画にしかならない。
それが富岡さんが言う“演出や技術、工夫が欠落してる”ということかとハッとしました。

 

富岡:サイレンとからトーキーになった時の映画が面白いんですけど、何となく全部の音が入っているのでなく、語る上で必要である音、必要でない音を選択しているんです。何となしに雰囲気や空気感を頼りに見せようとしている現在の映画と大きく違う。

 

板倉:“私は辛いんです”ではなく、関係性のなかでどう辛いのかが写れば見え方も変わるという事ですね。

 

富岡:さっきの椅子の話ではないけど、そこを考えるのが映画の面白さだと思います。『面影』では道路の真ん中に椅子を置いて芝居をするシーンがあります。現実的に考えると変だけど、決まった予算の中であることを表現したい時にあえてそこに持ってくる。そんな大胆さも必要だと思います。

 

万田:あの椅子は他に置くところがなかったから、あそこに置いただけなんですけどね(笑)。

 

 

いかがでしたでしょうか?
トークを終えて、1つのやり方や考え方に固執せず、常により良きものを模索する万田監督の柔軟な姿勢に感銘を受けました。
映画制作における大先輩からのアドバイスとして、今後の参考にしていただけたらと思います。


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