10/9、ビジュアルアーツ専門学校において、黒沢清監督をお招きしてCO2特別映画講座が開催されました。まずは<今日のテーマ>として黒沢監督のお話で幕開けです。
黒沢「僕が自主制作映画を35年前に8ミリで撮っていた頃に比べると、格段に質が高くて面白く、堂々としています。それは、脚本の内容が高度で、デジタルビデオカメラが高性能になり、映画のような陰影のある映像が撮れるようになったことも大きいと思います。日本の自主制作映画は世界的に見てもレベルは高いが、自主制作映画で素晴らしい作品が出ても、商業映画界が驚いたり、真似をしようとすることは一切ないんです。逆に自主制作映画を作っている皆さんは商業映画についてどう思っているのか。はなから無視をしているのか。こういった商業映画と自主制作映画のあからさまな断絶をどう考えているのか」
「昔は今のように自主制作映画というジャンルがなく、映画に係るためには商業映画の世界しかなかったんです。その世界にもぐりこんで、何とか今日までかろうじて映画を作り続けている訳です。自主制作映画の中に商業映画を出し抜いてしまうようなヒントがあるならみなさんから教えていただきたい。商業映画と自主制作映画の間にどういった関係が成立しえるのか、成立しえないのか」
黒沢監督とのトークに参加したのは昨年度のCO2助成監督である大江崇允監督とリム・カーワイ監督。司会は富岡CO2事務局長です。大江監督は今まで2本の映画を制作しています。
大江「僕が映画館に見に行く映画はほぼ商業映画です。僕の場合は劇団をやっていることもあって、俳優に対してのこだわりがあります。それを100%生かせるようリハーサルを入念にするなど、自分のホームを確立して闘わなければと思っています。雇われとして商業映画で飯を食っていくことに楽観視はできないという危機感はありますね。過去にあったスタイルを真似るのではなく、各自がプロデュース能力やスタイルを持って、商業映画をハッキングしていかなければ。敵対ではなく、内側から侵食できないかなという野望を持っています」
リム監督も実際観ていたのは商業映画で、自主映画はほとんど見ていないとのこと。マレーシア生まれのリム監督は日本の理系の大学を卒業後、日本の通信会社で6年間務めたのち、中国の映画学校に留学しています。
リム「映画を撮りたかったけど、スタッフや仲間も集められない。アメリカへ留学するとお金がかかるので、当時調べると中国の映画学校が一番安かった。っていう経済的理由ですね」
英語と中国語ができるリム監督。活躍の場をどこに求めるのか選択肢が広いと思われます。
リム「今後は商業映画をやりたい。映画学校を卒業した頃は日中合作の大作が多い時期で、通訳やコーディネーターとして商業映画の現場も長く経験しています。リハーサルがなかなかできないし、スケジュール通りに撮ることが必須だったので、実際に自分が撮るときもそういう制限を自分に課しています。その点では自主映画、商業映画の区別はないです」
黒沢「リムさん英語ができるなら、ハリウッドに行くっていう野望はないんですか。僕も時々聞かれるんですけど、この年になると中々億劫な面もあって。一番のネックは英語ができないことなんです」
リム「僕はアジアでやりたいですね。中国も香港も韓国も勢いがあって、必ずしもアメリカに行って撮る必要はないと思っています」
黒沢「アメリカは西洋人だけでなくてアジア系の監督って結構出てきてますよね」
ここで話題に上がったのは『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』『ワイルド・スピード MAX』のジャスティン・リン。好きな監督ということで、しばし黒沢監督とリム監督が盛り上がりました。
リム「彼は台湾人ですけど、交換留学生としてアメリカに行って、卒業制作で向こうのプロデューサーの目を引いて抜擢されたらしいです」
富岡「日本の若い人でもアメリカの映画学校に行って短編を撮る人も最近増えていて、CO2でも今回そういった方もいましたが、中々ハリウッドで撮るってところまではいかない」
大江「僕も英語はできないんですけど、ハリウッドってよく分からない部分があるんですね。興味はなくはないんですが。実は僕の『適切な距離』のカメラマンが最近“ハリウッドに行きたい”って先月行ってしまいして(笑)」
黒沢「あのカメラ素晴らしかったけど行っちゃったんですか」
大江「行っちゃいました。その人も別に英語が出来るわけじゃないんですけど、意外に挑戦してる人は多いんじゃないかって実感しました」
富岡「技術の人は結構行くよね」
大江「英語も興味があれば出来るのかなって。その人も出来る訳じゃないんですけど行きましたね。行ってどうなるかはまだこれからですけど」