2019年1月3日

THE END OF JAPANESE CINEMA レポート

CO2映画講座「日本映画界の変質と危機 1960~80年代」
~THE END OF JAPANESE CINEMA~レポート

今回のCO2映画講座は、『「日本映画界の変質と危機 1960~80年代」~THE END OF JAPANESE CINEMA~』と題して山下敦弘監督の「どんてん生活」を観た後にアレックス・ザルテンさんにお話いただきました。
アレックスさんはドイツの日本映画祭「NIPPON CONNECTION」のプログラマーをされていて、山下監督の「どんてん生活」を海外に最初に紹介した方です。
現在はハーバード大学准教授として日本映画とメディアを研究されており、昨年「The End Of Japanese Cinema」という本を出版されました。

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The End Of Japanese Cinema /アレックス・ザルテン著

今回は主に1960年代以降の日本映画全体の動きについて、具体的には、1960年代半ばから70年代半ばのピンク映画とアニメの始まり、1970年代半ばから80年代半ばの角川映画についてお話いただきました。

1959年は日本映画が元気だった最後の年と言われ、その後日本映画が国際映画祭から消えていった、ダメになっていったと言われています。
1960年代に入ると松竹、東宝、東映等のメジャー会社が制作本数を減らす中、その穴を埋めるために予算が少なくても制作できるピンク映画が量産されていきます。
その頃のピンク映画の代表的な制作会社が、北海道出身の矢元照雄が設立した「国映株式会社」でした。「国映」は当初、教育映画を制作していましたが、利益が低いことから1962年に日本で初めてのピンク映画「肉体の市場」を制作し、大当たりします。その後、同じくピンク路線の「情欲の谷間」を制作し、この映画も大評判となりました。しかし、映倫を通していなかったため、事務所に警察が立ち入り全員逮捕という事態に陥り休業せざるを得なくなりました。この時、休業中の国映の事務として臨時で雇われたのが佐藤啓子さんです。彼女は後に辣腕のピンク映画のプロデューサーとなり、周防正行監督や若松孝二監督、俳優の大杉漣さん等の多くの監督や俳優を世に送り出しました。

ピンク映画は急速に一般化され、1962年に3本だったピンク映画は1965年には220本以上になり、70年代初めにはピンク映画専門の映画館ができ始めました。客層をセグメント化し個別のターゲットを狙ってマーケティングを行うという流れが映画興行においても始まったのです。それまではぎりぎり女性も観られたピンク映画ですが、さすがに専門映画館には入りにくくなりました。観る映画を失った女性観客の流れは、その後のミニシアターブームへの流れの一因となっていきます。

一方、1963年1月1日に鉄腕アトムの放送が始まりました。鉄腕アトムの登場はメディアミックスの先駆けとして、その後の産業構造を根本的に変えるものでした。
映像作品だけでなく、本やビデオ、おもちゃ、ゲームなど他の製品とコラボして全体で稼ぐというメディアミックスの手法は、映画館以外でもTV等のメディアを通じて放映され、万人に受け、トランスナショナルで歴史や国籍のないキャラクターやストーリーを生み出しました。これは同時期に生まれたピンク映画が、映画館という「場」での上映を大切にし、万人向けではない、歴史観に基づいた反体制主義的なストーリーを映像化していったことと正反対であると言えます。

1970年代半ば以降に、このアニメの手法を実写映画に適用していったのが角川映画です。
1976年の「犬神家の一族」に始まり、「幻魔大戦」「復活の日」等、大作を作って膨大な費用をかけて宣伝し観客を集めてきましたが、1980年代初め頃から薬師丸ひろ子、原田知世のアイドル戦略にシフトしていきます。角川のアイドルがそれまでのアイドルと全く異なる点は、彼女達がまるでアニメのキャラクターと同じように、すなわち、人間ではなく記号、物語のないキャラクターとしてメディアミックス戦略の中で存在していたということです。
日本映画ではなく国家を超えたトランスナショナルな映画を目指す角川映画にとって、大人になる前、社会経験や結婚などの「物語」をまとう前の、キャラクターとしてのアイドル性が必要だったのでした。80年代の終わりには薬師丸も原田も大人になり、角川映画も陰りが見えてくることになります。

以上のような1960年代~1980年代日本映画の流れについて、アレックスさんは3つの結論を持っています。
1つ目は、映画はメディアミックスの一部となったということ。
2つ目は、莫大な予算を投資して大作映画が制作される一方、ミニマム予算の自主制作映画が生まれたが、これまで存在してきた、その中間部分を埋める作品が消滅してしまったということ。
3つ目は、映画とメディアミックスの密閉的な関係が生まれ、エンターテインメントとしては面白いがそれ以上ではない作品が多くなったということです。

また、日本映画は面白くなくなったと言われるが、アレックスさんはそうは思っていない、
今の日本映画で面白い作品はたくさんあるが、短い期間の限られた上映回数であることが多いので作品を見ることが難しくなっている、とおっしゃっていました。

少し難しい内容でしたが、受講者の皆様も熱心に聞いておられ、お話の後のQAもいろいろな質問がでていました。

報告者:藤谷律代(CO2運営事務局スタッフ)


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