JISYU vol.6 〈自主映画アーカイヴ上映〉
「越境する自主映画-高岡茂特集−」レポート
去る7月28日、29日、神戸映画資料館と大阪のプラネット・プラス・ワンにて、「越境する自主映画-高岡茂特集-」が開催された。昨年のシリーズ開始から第6回を数えた〈自主映画アーカイヴ上映〉だが、今回はじめて関西で活動してきた映像作家の特集を実現できた。事実、高岡の手掛けた映像には、1980年代の北大阪の風景、震災前の神戸の街など、貴重な地域の記録も多く含まれている。ただし、タイトルに「越境する自主映画」とあるように、高岡の経歴や活動は多岐にわたっており、一つの場所や立場に収斂するものでは全くない。それは映画製作だけでなく、高岡がかつて景山理たちと『映画新聞』の編集に携わり、溝口健二組スタッフへの貴重なインタビューなどを実現してきたこと、あるいは劇団維新派のプロデュースにも長くたずさわってきた人物であることにも現れている。
二日間のプログラムでは、早稲田大学在学時に制作された『LEFT ALONE』(1979年)から80年代の大阪を舞台にした『こわされた夏の幻』(1984年)、35mmによる代表作『ベイビークリシュナ』(1998年)、淀川長治と宮川一夫の対談をおさめた『映画の天使』(2000年)、そして、松本雄吉と歩みを共にした記録『特別編集版~松本雄吉さんと歩く』(2016年)までを上映した。報告者は神戸、大阪で高岡のトークの聞き手をつとめ、高岡が上記の作品群を制作してきた経緯を詳しく伺う機会を得た。以下その一部を報告したい。
宝塚で生まれ育った高岡は、大学で東京に出てきた当初は演劇活動に参加していたが、70年代後半の早稲田は、まさに自主映画ブームの只中にあった。高岡自身も(JISYU vol.4でも特集した)山川直人や島田元、西山洋市らが所属していた早稲田大学シネマ研究会のメンバーと交流があった。そして、当時明治大学に在籍していたツカモト・ユキスケ(のちに京都でシネマ・ルネッサンスを立ち上げる)と出会って映画製作を開始。(太宰治が使っていた偽名を借り)「落合一雄」名義で、8mmフィルム作品『LEFT ALONE』を発表する。82年には就職のため関西に戻るが、職場の仲間たちと資金を出しあって、再び自主映画製作を再開、16mmフィルムで『こわされた夏の幻』を完成させることになる。85年に大阪の梅田にスタジオ・デルタを設立し、同時期『映画新聞』の編集にも参加するようになり、上記の溝口組へのインタビューを実現した(当時その特集号は蓮實重彦にも激賞された)。さらに89年には、京都朝日シネマで行われた淀川長治と宮川一夫の対談を16mmフィルムで撮影することになる。その後、宮川の体調の悪化などがあり、記録は未公開となっていたが、二人の死後に追加のインタビューなどを加えて『映画の天使』の完成に至る(なお、映画版ではカットされた対談の一部は、書籍版『映画の天使』(パンドラ、2000年)に収録されている)。
一方、高岡と維新派の松本雄吉が親交を深めたのが、小川紳介が監督した『1000年刻みの日時計-牧野村物語-』(1987年)という一つの映画を上映するためだけ、京都に期間限定で仮設された「千年シアター」の制作現場だった。ちなみに当初はシネマプラセットで話題を集めていた荒戸源次郎に上映スペース設営を依頼したところ、予算が高額だったために頓挫し、野外劇を行ってきた松本に話が持ちかけられた経緯があったようだ。「千年シアター」の設営で松本とともに働いたことが契機になり、高岡は劇団への協力を依頼され、以後も維新派との活動を続けることとなる。そこからは演劇の活動が大きな比重を占めていくが、90年代にも高岡は、関西テレビ放送のDRAMADASにて『天使は悪魔のように』を監督しており、さらに98年にはネパールロケも敢行された長編『ベイビークリシュナ』を完成させている。
監督自身も語っていたように、高岡の映画では、偶然の事故のような出会いが他者との関係性を生み、人生の軌道を大きく揺るがされる。『ベイビークリシュナ』のネパールから女性を追いかけて日本に来た、不思議な青年クリシュナと主人公の考古学者は、まさに交通事故の被害者、加害者として出会う。あるいは『こわされた夏の幻』でも、貿易会社につとめる主人公が将来を約束されながら、北大阪急行の車窓にかつての恋人を認めたことから、別の人生を歩もうとする。その姿は、当時業界新聞社に勤めながら再び自主映画にのめり込むことになった高岡ともどこか重なる。演劇青年が8mmのカメラを手にして自主映画をはじめてしまったことも、『映画新聞』の編集や松本雄吉と行動を共にする契機も、ある種の事故かもしれないが、高岡はそのような偶然を肯定し、一つの場所に留まることなく、仲間を得て特異な作品を発表してきた。結果そのフィルモグラフィには、これまでJISYUシリーズで取り上げてきた監督たち以上に、作家の人生が反映されていたように思われた。
報告者:田中晋平(神戸映画保存ネットワーク客員研究員)