2018年1月10日

JISYU Vol.3レポート

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JISYU vol.3 〈自主映画アーカイヴ上映〉横断篇
管理人?音楽家?実は映像作家? 森本アリ8mmリミックス

報告者:田中晋平(神戸映画保存ネットワーク客員研究員)

森本アリ8mmリミックス

昨年11月25日に第3回を迎えた〈自主映画アーカイヴ上映〉では、「森本アリ8mmリミックス」と題し、神戸・塩屋にある旧グッゲンハイム邸の管理人のお仕事や音楽家など、多方面にわたる活動で知られる森本アリさんの「映像作家」としての側面に焦点を合わせた。今回は、アリさんがベルギー留学時代に撮りためた8mmフィルムの映像を、DVDやVHSも交え、一部には即興演奏(森本アリ、井上まりによる「塩屋楽団」)も加えて、上映が行われた。なお、上記は神戸映画資料館で11月23日から26日まで行われた「神戸発掘映画祭2017」の一企画としても実施されたため、過去の自主映画のフィルムを発掘・保存を訴える機会にもなった点、付記しておきたい。

神戸アートビレッジセンターなどで行われてきた「えいがのみかた」〈アリさんのシネ間あり〉といった催しで、アリさんの映画に対する深い造詣に触れられる機会はこれまでにもあっただろう。しかし、その映像作家としての活動を知り、作品を観たことがある人は少ないのではないか。昨年刊行されたアリさんの著書『旧グッゲンハイム邸物語』にも、もともと大学で映画を撮りたいと思っていたこと、ベルギーの大学に留学するも、あえて映画学校ではなく、現代美術の大学 École de Recherche Graphique (Erg)に入学された経緯が語られている(在学時には、写真や映画だけでなく、平面やインスタレーションの作品なども手がけ、国内や海外でも作品を制作・発表していた)。当時、ビデオなどを大学で借りることもできたが、8mmカメラが安価で手に入りやすかったことに着目し、あえて周囲の誰も選んでいなかったメディアを活用することにした。そこからコマ撮りによる作品制作を開始、さらに旅行先の風景などを次々と撮影して、仲間内で観られただけでなく、プロジェクターやラジカセを持ち歩き、当時友人と二人ではじめていた Moli no Kuma という音楽ユニットで演奏を付けたり、各地のミュージシャンとコラボレーションして上映される場合もあったらしい。ただアリさんが日本に帰ってきてからは、上映の機会が全くなくなっていた。まさに当時の映像を発掘し、今回の企画が実現したわけだが、残念ながら状態が悪いものや行方の分からないフィルムもあり、予めテレシネされていたDVDやVHSを活用せざるをえなかった事情もある。

上映の合間のコメントでアリさんは、ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』(1987年)で、天使が地上に舞い降りる場面のような映像を撮りたかったと語っていたが、今回上映した8mm作品から感じられたのも、複数の都市の風景やその細部に向けられたアリさんの眼差しである。ニューヨークの摩天楼が並ぶ様子の俯瞰から、洗濯物を干したパレルモの路地裏、ロンドンの市場の活気に満ちた光景などまでに向けられたそれらの映像には、のちに塩屋という地域に深く関わることになる、アリさんの視点を既に宿しているように思えてならなかった。ただし、最初にDVDで上映された「SCAPE… SIGHTSCAPE, SOUNDSCAPE」(1993-1997年)のように、それらの断片的な風景は、別の都市空間の音響や音楽と重ね合わされ、異化されてもいる。塩屋楽団の演奏付きで観られた8mmフィルムのラッシュも、おそらく電車から眺められたものと思われる街灯の光が、規則的に現れては消えていくという映像だった。『旧グッゲンハイム邸物語』では、アリさんが愛してやまない映画として、衣笠貞之助や成瀬巳喜男、エイゼンシュテインやプドフキンの作品に加え、ハンス・リヒターの『リズム21』(1921年)が挙げられていたが、上記の街灯のイメージの反復も、抽象アニメーションと見紛えるような都市の相貌を捉えている。そして、VHSしか残っていなかった最初期の作品「エネルギー①」、「エネルギー②」では、コマ撮りを活用して場所やモノがバラバラに解体され、猛スピードで新たに組成するイメージが、スクリーンから溢れ出すかのようだった。

〈自主映画アーカイヴ上映〉では、かつて映画作家たちが通過してきた、自主制作や自主上映の時代の試みを振り返るという企図をもっているが、一方で自主映画のフィルムを発掘・保存する意義は、現在の商業映画の世界などで活躍している人々の軌跡を辿り直すことだけにあるわけではない。いまは映像の世界から離れた人たちの活動の背景にもある、かつて8mmカメラを手に取り、夢中で映画を作ってきた記憶の中には、さまざまな未来に繋がる萌芽を認めることができる。だからこそ、過去のフィルムから現在のアリさんの活動にまで繋がるイメージや眼差しを探ることも可能なのではないだろうか。あるいは映像作家・森本アリの活動がもし継続されていたら、あの塩屋の街をどのように撮影したのだろう、といったような想像を促す機会も、今回の上映を通じて提供できたと思われる。


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