<ゲスト紹介>
アレックス・ツァールテン(右)
第8回CO2の選考委員でもあり、2013年よりハーバード大学の東アジア学科で日本文化および日本映画について教鞭を取る。
2003年にドイツのフランクフルトにて、世界最大級の日本映画専門の映画祭・ニッポンコネクションを立ち上げ、2010年までプログラマーを務めてきた。>
森宗厚子(左)
2010年よりニッポンコネクションのプログラマーを務める。
司会/CO2事務局長 富岡邦彦(中央)
●世界最大の日本映画の祭典・ニッポンコネクションの功績
ドイツでは日本映画に対する興味は強いが、黒澤明、小津安二郎、溝口 健二以降がどんな傾向にあるかよく知られていなかった。そんな状況の中、ニッポンコネクションは2003年に日本映画を紹介する映画祭としてスタート。宮崎アニメ『千と千尋と神隠し』から北野武監督の『ドールズ』、インデーズでは山下敦弘監督の『どんてん生活』など幅広く13本の日本映画を上映した。
映画上映以外に、日本文化を紹介するステレオタイプ的な剣道、茶道の体験に加えて、実験的な紙芝居、ワークショップ、座談会などイベントを開催。3日間で2000人を想定したところ、8000人集客した。
2005年以降は上映作品約150本、日本からの参加ゲストも50人程の大きな映画祭に成長し、観客数16000人程度となっている。
富岡:大阪の自主映画特集やシネドライブのプログラムで短編作品を紹介しましたけど、メジャーからインデーズの短編も、同じ並びで上映出来るのが面白いんです。
アレックス:観客はスターかどうかなんて知らないから平等に観るんですよ。面白いかどうかだけ。観客は10代から60代まで様々ですね。2会場で一日中映画を上映します。メロドラマを観に行って、そばを食べてその後たまたま変な自主映画を観たり。
期待しないものを観ると意外に面白く観てもらえるんです。夜はカラオケパーティもやりましたね。
富岡:ヨーロッパで紹介されてない日本映画を紹介したという点で、ニッポンコネクションの功績は大きいんですよ。
ピンク映画は日本ではあくまでピンクの一本としてしか観られず、ヒットするわけではない。女池充監督の『花井さちこの華麗な生涯』や、いまおかしんじ監督の『たまもの』など、ニッポンコネクションのきっかけで海外に広がったんですよ。
アレックス:日本の観客はピンク映画と聞くとAV的なものを想像しますが、国映が制作したピンク七福神の作品は実験的な映画として面白いんですよ。アメリカは『タクシードライバー』でデニーロが連れて行くようなハードコアしかない。日本のピンク映画やロマンポルノは日本独特で海外にはないもので、エロティシズムと物語がきっちり描かれています。
60年代のピンク映画は過激だったけど今は割と普通。ドイツの観客は普通の映画として観て、それが面白いってことで人気になったんです。
●日本の映画の変化
日本映画のこの十年間の変化については、予算が膨張する大作映画と低予算映画に二極化して、中間の規模の作品がほぼなくなったこと、一眼レフカメラの動画撮影やパソコンによる編集などデジタル化によって以前よりも少ない予算で比較的高いクオリティになった点が挙げられた。
アレックス:自主映画自体も変わってきて、プロが自主映画を撮ることでレベルが上がってきましたね。
森宗:もともとは、映画業界とは無縁に作りたい人が自主的に作っていた場合が多かったですが、近年は商業映画を撮ったこともある監督が商業的製作に依らずに撮るというケースが多く出てきています。
アレックス:自己満足のために映画を撮ってもいいけど、目的を多くの観客とコミュニケーションを取ること、とするとクオリティの意味が違ってきますね。
富岡:うちのスタッフの言葉ですが、かつては観客が消費者。今は監督が消費者。自分たちでお金を出して監督、スタッフ、出演者共に満足していることが、CO2も含めて問題として感じています。自己表現と映画は分けないと。
●興行の現状
韓国、ドイツ、アメリカの自主映画の状況を例に挙げた後、トークは興行の現状に。シネコンとミニシアターのスクリーン数に差があるため、厳密にはスクリーン当たりの観客数として考える必要がある、という前提がある。なお、東京のミニシアターでは、単館レイトショーで若手の作品を公開する場合2?3週間興行で1000?1400人程度が目標とされているというが、現実的には2週間で500?600人という結果になるケースも多いとのこと。
森宗:配給、宣伝、劇場が液状化してきていて、いまは過渡期的な状況といえます。紙媒体がなくなってネットがメインになり、小規模な映画の場合は特にツイッターが主力で、観客側にとっても情報源が限られている。自主映画については作り手自身で情報を発信できることにもなり、観たい人は能動的にアクセスして見つけて行くことになります。とはいえ結果的には、劇場公開したという事実と、内実的に観客に伝わったか、また世間的に作品が知られたか、ということにはギャップがありますね。
●Q&A:今後の自主映画はどうあるべきか?
参加者から「商業映画と自主映画の境目が曖昧になってきたという話があったが、今後は分かれた方がいいのか、今までと全く違う形で展開するがいいのか」という質問が挙がった。
アレックス:何がいいかは私もわからないです。例えば『ひぐらしのなく頃に』では、同人ゲームがヒットしたことでスポンサーが付いて漫画・アニメ・劇場映画と展開しました。
今までは会社が依頼してその人にギャラを払っていました。今は人が作ったものを会社が選んで、選ばれないとお金をもらえない。世界的にそういうシステムになっています。資本主義の次の段階でシステムとしては最悪ですけど、面白い作品も出るという側面があります。
富岡:ぼくは経済として破綻してるから、アートでもいいと思うんです。クオリティの高いものをきっちり作る。自分たちで上映もしていかないと。
森宗:例えば、富田克也監督の『サウダーヂ』は、リサーチに1年かけて準備し、仕事しながら休日に撮影して、週末を使って1年がかりで作った。そして、自分たちで自主配給して劇場公開して、ソフトは出さない、と。自主だからこそのマイペースで、そういうやり方もあるんです。
日本映画で、特に自主映画であまり議論されてないようですが、作品のテーマ、企画や脚本が重要ではないでしょうか。作り手としては撮影そのものに興味がいきがちになるかもしれませんが、作品のコアは企画と脚本がいかにオリジナルであるかにかかっています。テーマを突き詰めて脚本を練り上げるという作業自体は地味で苦しいことかもしれませんが、実はお金が掛からなくて何とかしようがある部分ともいえます。そこに時間や心血を注ぐことで作品が強いものになり、独自のものになるんです。そのベースが固まらないまま撮っても面白いものはできないでしょう。
そして、「ありのままの僕を見て」ではなくて、観客に対してどう見せたら面白いか、を考えることがポイントになってきます。近年の国際映画祭でアジア映画と言えば、日本映画より中国や東南アジアの映画が面白いと言われますが、脚本の技巧というより伝えたいメッセージがあり、具体的なテーマなんです。個人的な“わたくし”を描いても、社会における“わたくし”として、全然知らない人から見ても普遍性が伝わるテーマを持っていて強い。それが欠けているのが日本の作品の弱点です。
富岡: 今年アジアン映画祭でやったミディ・ジーの『貧しき人々』で一番感じましたね。作品は荒削りだけどミャンマー出身の監督が今はタイに住んでいて撮影もタイ。彼がミャンマーからタイに逃れてきて、不法労働している人たちの生活、妹が売られてきた状況の話を淡々と撮っている。うまいのは、今ミャンマーと言えば皆さんが知っているアウンサンスーチーさん、タイと言えば洪水。それをちゃんと映画に取り込んでいます。
森宗:世の中で誰も表現してないものを取り上げるということも自主映画の強み。今回ニッポンコネクションで上映した戸田幸宏監督の『暗闇から手をのばせ』は、障害者専門のデリヘル嬢を軸にしたヒューマンドラマで、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリを取りました。
監督は、NHKでドラマのディレクターをしていて、会社的にはタブーな題材ということで企画を却下されたけれども、自主映画として作ったわけです。新人デリヘル嬢と何人かの障害者との出会いを明るいタッチで描いていて好感が持てる作品ですね。視点は面白いので、もっとドラマとして掘り下げられたらと物足りないところもありますが、第一作ということで今後に期待したいですね。
逆に、フィクションとして自分の話を取り上げることもアリだと思います。例えば、真利子哲也監督は東京で中流家庭に生まれ育ち、大学映研の先輩たちが過激さを競って裸になりたがるような90年代に、コンプレックスのないことがコンプレックスともいえる、そういう自分をいかに観せたらいいのかを考えた結果、監督独自のスタイルが出来上がったということなんです。
映画として語るべきことが何か、そして、それをどう語るかについては、よくよく考えるといろんな展開があり得ますね。
濱口竜介監督はさまざまなテーマで撮っていて、また、制作形態についても柔軟です。できる事は何かを考えて、使える機材や制作体制などの可能な範囲で作品を作り続けています。今も神戸で演技のワークショップがあって移住して取り組んでいます。普通の発想なら東京となりがちですが、そういった活動自体も興味深いですね。
●Q&A:自主映画で批評は成り立つのか?
続いて「媒体で自主映画が取り上げられることが少ないのは何故か」という質問が挙がった。
森宗:プロとしての評論家やライターは、つまり売文業ということだから、媒体からの原稿依頼がないと書きたくても書けないわけです。そして、媒体側は多数の映画の中から選んで取り上げるので、知名度のある作品のほうを選びがちです。そういう状況ですが、自主映画やマイナーな映画について個人ブログやツイッターで書かれることで、作り手とレスポンスが生まれて興味深い場合もありますね。
参加者:Ustreamで監督同志に批評させるのもその延長だと思うんですけど、それをメリットと考える人が圧倒的に少ないから、その方向に持っていけないんです。
森宗:基本的に、褒めることも辛口批評も含めて“批評の場ですよ”という前提がないことには成り立たないですね。どんな作品にも賛否の双方の見方がありえることが大事だと思います。批評にさらされるということとそれを受け止める姿勢が作品の質を上げていくことにつながるでしょう。
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皆さんどんな感想をお持ちでしょうか。今後の制作活動の参考にしていただければ幸いです。
次回の特別講座は9/1、昨年に引き続きCO2選考委員でもある万田邦敏監督をお招きします。万田監督が大阪で制作した『面影』の上映とトークをお楽しみに!