2011年12月30日

レポート12/11(日)青山真治監督のCO2特別映画講座(2)

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今のインディペンデントシーンにおける大江監督の実感とは
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大江:CO2を含めて東京の同世代の連中と話す機会が増えていて、特に東京では同世代の中でコミュニティを作ってしまっているように感じますね。

青山:戦前に鳴滝組(★)が関東に遊びに行って小津安二郎たちと遊んだり、逆に小津たちが関西に来たりってコミュニケーションが体現されてるのを見ると双方が活発化するってことで羨ましいですよね。

★:山中貞雄を中心として京都で結成された若手の脚本家・監督・助監督8人からなる脚本の執筆集団。

富岡:ただお互いの作品の話をしないのは引っかかるよね。

大江:作品云々の前にお互いシンパシーを感じてるんですよね。お互い苦労が分かるからやっぱりこの予算になるよねってそういう話をまず最初にせざるを得ない。僕は相当危機感を覚えます。撮れないって強迫観念と撮りたいって意志を処理するのに物凄く時間と労力を使ってる感じです。あっと一歩抜け出しそうな連中に対しては圧倒的嫉妬で見るって感覚はありますね。作品の内容じゃなく。個人的な意見ですがそんな傾向があるように思います。

青山:あるところで3人の若手監督たちが座談会をやっているのを読んだんですが、何に影響を受けたかって話はするんですけど、昨日何観てガツンと来たって話はないんですね。僕自身は例えば道で篠崎誠に会ったら「あれ観た?」って話を絶対するんですね。しゃべる内容の違いって大きいかもしれない。もうひとつは俺らはプロであることから始めているので人の金でギャラ貰って生活しているっていうのを前提にしてるんで自分がどれだけ自腹切ってるかって話にはならないし、そういう話はしないようにしてるんです。

富岡:ヨーロッパでは予算がないとなった時に映画を撮らない訳ですよ。自腹切ってでもっていうのは日本的な感覚です。ヨーロッパで新しいものが出てきにくい状況で、日本や中国のインディペンデントの作品が持てはやされる。お金にはならないかもしれないけど無理してでも作っている。ただお金の苦労話になると知らないよって話になるからね。青山さんが最初に立教大学で8ミリやってた頃に、予算いくらでって話はしなかった訳です。その違いはどう捕らえていますか。

大江:おっしゃることはよく分かります。先日黒沢さんとの話でも言ったんですが、僕らの場合は始まる瞬間からITのベンチャー企業を立ち上げたようなもんなんですね。

青山:アメリカのインディーズの人達ってそうだよね。

大江:学生は別として卒業した後に撮るインディーズ映画は、自分でお金を回収しなきゃどうしようもないって思ってるんです。自分の好きなことだけではなく、観客のニーズは今何処にあるのか。例えば『サウダーヂ』も移民の問題にヒップホップって言う音楽性とか、ヒットする要素を自ら確実に想定して作られていて、インディペンデントが新しい確信な的なことを作るって言われるのは今の日本では難しいのかの知れない。お金っていうのは重要になってきてるんじゃないかと思っています。

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役所広司との出会いで演技の面白さに目覚めた
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青山:大江君の撮り方で面白いと思うのは、本来壁があるはずのところにカメラが入って逆向けに入ったときになめなのに結構引きっていうポジショニングがしばし入るのが面白いね(笑)

大江:プロの現場でチーフをやってるような連中と一緒にやっていて、映画を知っているだけに置く位置がもう「映画」なんですよ。それが気持ち悪くて。

青山:逆に新鮮だよ。プロの人たちはあんな風にやらないから。

大江:放っておいたら勝手に進むので、その進行を止めたいっていうのがありますね。青山さんはカメラについてどう考えられていますか。

青山:僕自身はカメラについて考えることをほぼ放棄したようなところがあって。それは、『ユリイカ』で役所広司さんと仕事をした辺りから始まっているんですけど、俳優と仕事することは何と面白いことなんだろうって気が付いて。カメラより演出に熱中し始めて、段々演劇の方へ向かっていくことになりました。

富岡:それは画で考えなくなって来たってことですね。

青山:カメラでは考えないっていう。もちろん大江さんと僕らの世代の決定的な違いはデジタルか否かってことで、『東京公園』はデジタルで撮ったけど、それまではフィルムで僕はモニタを見ないでこの焦点距離ならこれくらいになるかなってちらっと覗くくらいで、作り始めるところから始まったんです。フィルムでもモニタがあるようになったのは『サッド ヴァケイション』くらいからかな。いずれにせよ芝居を作る方が優先されて画面はほぼチェックしないですね。『サッド ヴァケイション』で言えば浅野君が川に入るショット。そんなよほどの試みがあるとき以外はほぼ覗かないですね。

大江:『東京公園』で凄く象徴的だったのは三浦春馬さん小西真奈美さんが家でキスするシーンがあって、その撮り方は凄く生っぽかった。芝居だけなんだなここに存在するのは。芝居を見ろ!と言ってる感じがしました。脚本は論理的なんですけど、実際撮られているのは人間的なもので、『サッド ヴァケイション』のお母さんのキャラクターなんか、母や女というより僕はそう捕らえず時代だと思ったんですが、破綻しているキャラクターで破綻させずに撮る。それは役者の腕だし演出の腕だと思いました。そういうことが凄く体言されていたので、今日のお話で凄く腑に落ちました。

富岡:青山さんが役者と密に話をするようになったのは『ユリイカ』くらいからですか。先日黒沢さんと話したときはホン読みはしない、ぱっと来てぱっと撮るってことを言ってました。それは事前にある程度の信頼関係があると思うんですが、その辺はどうですか。

青山:僕も黒沢組の助監督だったんで同じです。何もしません。何も話さないし、ただホンに書かれてる通りにはならないし、さぁどうしようってことをいつも役者にぶつけてるつもりですね。黒沢さんの場合はカメラで何か語ろうとしているし、それを編集で構成していくことに自負を持ってやっているということですね。

富岡:本来は異端なやり方ですよね。

青山:僕の場合はテイクが大分増えて来つつありますね。その間に芝居を変えていくことによって、別の集中力を俳優さんたちにもたらすことができる。進化していく感じを掴みやすい時間にしていくことで生まれて来るものがあるかなって思っています。