2018年1月28日

JISYU Vol.2レポート

chuibanner_bigout-01

JISYU vol.2 〈自主映画アーカイヴ上映〉海外篇
ヴィンセント・チュイ(崔允信)〜香港インディペンデント映画の夜明け〜

people-director-vincent-chui-mask9

3年前にプラネット・プラスワンがリム・カーワイのシネマ・ドリフターと共同で開催した「マカオ映画祭」、そして2017年、東京と大阪ではシネ・ヌーヴォで開催された香港インディペンデント映画祭が好評だったため、そのリバイバルも兼ねて、プラネット・プラスワンでは昨年2017年9月30日から10月10日に〝香港インディペンデント映画の父〟とも言われるヴィンセント・チュイ監督を招いて、彼の長編前作上映とトーク、オールナイト上映も開催した。
以下は2017年10月1日の『狭き門から入れ』上映後のヴィンセント・チュイとCO2事務局長の富岡との対話である。通訳はCO2助成監督でもあったリム・カーワイが担当。
(2017年7月下旬号のキネマ旬報では、ヴィンセント・チュイ、ツァン・ツイシャン(曾翠珊)らの対談も掲載されている)

IMG_8711
聞き手:富岡邦彦(CO2運営事務局長/写真左) 通訳:リム・カーワイ(映画監督/写真右)

富岡:昨夜のオールナイト上映時にもお聞きしましたが、フィルモグラフィーを拝見すると、1997年に初めて映画製作をスタート、長編では『憂いを帯びた人々』(2001)が第1作目となるわけですね。その後、香港でもヴィンセントさんを筆頭にデジタル・低予算で撮る自主映画作家が続々と現れる。一方、香港の商業映画界もそんなに予算がないので、低予算で映画を作れるヴィンセントさんに商業映画を監督する話が舞い込んだ。そして監督したのが商業映画『目の前の人を追え』(2004)『愛情万歳』(2008)の2作品ということでした。
『目の前の人を追え』は、『愛人/ラ・マン』のレオン・カーフェイ主演。(※注1) 2本目の作品『愛情万歳』は、ある種のアイドル映画ということで、6人の若いスターを売り出すための作品とのことでした。『狭き門から入れ』を撮影し始めていたところ、商業作品の依頼が来たため、撮影を一旦中断し完成させたのが『愛情万歳』、その後『狭き門から入れ』の製作を再開したんですね。
『狭き門から入れ』の日本語タイトルは、リムさんがつけたんですよね。原題は『三條窄路』、英題は『Three Narrow Gates』と、作品のキーとなる〝三〟がタイトルに入っており、直訳するならば〝三つの狭い門〟。これはどういう意味なのか、何を表した言葉なんでしょうか。

チュイ:この映画を上映した時、私がキリスト教徒ではないかという噂が出ました。親戚に聖職者がおり、ある意味ではキリスト教徒と同じ環境で育ち、小さい頃から聖書の物語を聞いていました。大きくなってからは教会にはあまり通わなくなったものの、幼少期から教会で何度も聞いていた面白い話がいくつも印象に残っていました。しかしそのまま映画にするのは難しいということが年齢とともに分かり始めました。
『狭き門から入れ』をご覧いただければ分かるかと思いますが、劇中でも教会に通う人がおり、聖職者が〝狭き門から入れ〟というエピソードを話しています。その話の内容は、天国に行きたい人は多いけれど、行くためには狭い門を通らないといけない。要するに何かを犠牲にしなければ天国には行けないという物語ですね。当時、そして現在もですが、香港の政治・社会状況に照らし合わせてみると、皆いろいろなことを得たいが犠牲は払いたくないと思っている。そのため、〝狭き門から入れ〟という話をテーマに映画を製作しました。

富岡:映画では、聖職者、カメラマン、警察官が登場します。三人が3つの要素、宗教的・経済的・政治的な〝ナローゲート/狭き門〟を通れるか通れないかというところに“Three Narrow Gates”を落とし込んだと理解していますが。

チュイ:そうです。聖書の中での〝天国に行くための三つの狭き門〟を映画でそのように表現しました。

富岡:この作品を企画し始めたのは2008年頃と伺っています。香港が中国に返還された(1997年7月1日)という社会情勢が、この作品を製作する動機に結びついたということでしょうか。

チュイ:返還されてから色々なことが起こったので、それを語るためには時間がかかります。返還された1997年から、80年代ニューウェーブを代表するアン・ホイ監督と共同でドキュメンタリーを撮り始めました。(※注2)
それは返還に関する内容で様々な人に取材をする必要があり、文化人や政治家などに取材しました。勉強になったのは、アン・ホイ監督含め取材対象者は同世代の方々で、私より上の世代ですが、その人々が社会に対して責任を感じているということを知りました。そのことから『憂いを帯びた人々』の着想を得ました。2003年、香港では大きな変革となる、国民を守る名目で監視等を正当化する法律23条に対しての反対運動が起きました。(※注3)
その中で『狭き門から入れ』にも登場するラジオ番組の司会者の身に実際に起きた事を作品に取り込みました。彼はその後、出馬し議員になり〝香港は中国と違う〟と呼びかけた人です。

富岡:香港に住み、アン・ホイ監督と製作したドキュメンタリーを撮っている中で、実際にあなたの周りで起こったこと、現実の問題をどれくらいそのまま作品に取り入れていますか。

チュイ:ラジオ番組の司会者の仕事がなくなったこと、新聞社がスポンサーに気を遣い記事をボツにしたことです。工場の汚染問題については当時そこまで大きな問題とはなっていませんでしたが膨らませて描いています。

富岡:警察からの圧力やメインランド(中国本土)から売春のためやってきた女の子の話もありますよね。当時起こっていた問題の中からいくつかピックアップして作品を作り上げたということですね。

チュイ:そうですね。

富岡:それが今から10年前の香港ということですね。少し戻りますが、アン・ホイ監督と製作したドキュメンタリーの後、〈影意志〉(Ying E Chi/イム・イー・チー)を設立されました。その経緯を教えてください。

チュイ:1995年に〈香港アートセンター〉が主催するインディペンデントの短編コンペティションが始まり、私も応募しました。そこでアートセンターのテレサ・コン(※注4)と意気投合しました。アートセンターのビルの7階に参加者は誰でも使える707号室という部屋があり、そこには香港の若手自主映画監督たちが集まっていました。そこには、現在はジャ・ジャンクーの撮影監督として有名になっているユー・リクアイも監督として参加していました。当時は皆新人で何かやりたいという意欲がありました。政府が芸術に対して支援を行う〈香港アーツカウンシル〉の話なども持ち上がっていた時期で、そこに申請し、その時の有志たちで影意志を作ろうとなりました。

富岡:〈影意志〉はチュイ監督を中心に何人かのメンバーで設立されたということですね。

チュイ:アダム・ウォンなども当時のメンバーの一人です。彼は自主映画から商業映画を撮るようになり、商業映画業界に入りました。彼のような人は多く、ずっと自主映画に関わっているのは私とサイモン・チョンの二人しかいません。私が中心として始まったわけではありませんでしたが、20年程の間に色々な変化が起きたということです。(※注5)

富岡:70年代の日本では香港映画といえばカンフー映画のイメージしかなかったけれど、そうではないものが80年代の香港ニューウェーブとして紹介されるようになりました。中国や台湾でもニューウェーブの監督たちが出てきましたが、ある種アート系や作家性のある作品、要するに完全なフィクションの世界じゃない、同時代の香港で暮らす人の生活をベースに、ネオリアリズムやヌーヴェルバーグのような作品を作り始めました。それを見て、デジタルで映画を作れるようになったチュイ監督たちの世代が自主制作で短編映画を作っていた。そして〈香港アートセンター〉のテレサが短編の映画祭を始めた。そこに参加した監督たちの交流が生まれ、〈影意志〉が生まれたわけですね。この名前の由来は何でしょうか。

チュイ:特に意味はなく字の通りです。中国で映画は“電影”その“影”と、映画に対する“意識”と“志”を合わせたんです。

富岡:“志”ということは、この団体はこれから短編だけではなく長編映画も作ろうとしていたという志ですか。

IMG_8720IMG_8717
チュイ:最初に集まったメンバーは映画製作の意欲は持っていましたが、それは必ずしも長編映画ということではありませんでした。残ったメンバーもそれぞれの分野の志で映画に関わっています。私の場合、最近は自分の作品だけでなく若手監督たちの支援へとシフトしていっています。映画を撮りたいという若い人たちはたくさん出てきていますから。

富岡:〈影意志〉の若手監督というのはどういう人たちがいますか。

チュイ:〈影意志〉はメンバー制ではありません。そして政府からの助成金で運営していますから利益は重視しません。色々な新人監督らの映画をバックアップしてきており、その作品は私が関わっている香港インディペンデント映画祭で紹介してきました。映画祭で紹介することで反応を得て、大きな会社から配給したい、監督と何かやりたいという話が持ち上がっても、作品の著作権を〈影意志〉が保持しているわけではないので、決定は監督たちに任せています。
2014年の雨傘革命を追ったドキュメンタリー『乱世備忘~僕らの雨傘運動~』(※注7)の場合も監督が助けを求めに来て〈影意志〉がプロデュースすることになり、香港インディペンデント映画祭で紹介したところ、とても大きな反響を得ました。劇場ではなかなか上映が難しい作品でしたが、〈影意志〉が各地のホールやアートセンターなどのスペースを手配し上映しました。結果、この作品が〈影意志〉が関わった映画の中で一番ヒットした作品になっています。『乱世備忘』の監督チャン・ジーウンをはじめ若手監督たちの作品で上映機会に恵まれていないものも多くあります。必ずしもすべてが傑作というわけではありませんが、人に観せる価値がある作品は多いです。そのような作品を配給・上映することはとても楽しいです。

富岡:これは完成した作品をバックアップしたということですが、作品の制作をバックアップすることもありますか。

チュイ:ケースバイケースです。『乱世備忘』ではポストプロダクションから関わっていますが、完成後から関わる作品もあります。

富岡:それ以外にワークショップなども開催しているんでしょうか。

チュイ:はい。その他、クラウドファンディングも行っています。イン・リャン(※注8)の短編などがその一例です。

富岡:また、〈影意志〉の歴史がわかる「香港独立電影節/On Earth We Stand2008-2017」も貴重な資料ですね。これまでの作品は今回の上映はもちろん、DVDも販売されてますので興味のある方はご覧になってください。
(※注9)

チュイ:作品を観てもらう機会としては、DVDも広がりの一つだと思っていますが、最近はオンラインの方が主流になっているので、今後はDVDを作っていく意味はないかなと考えています。

富岡:それでは、今後はオンラインにシフトしていく予定ですか。

チュイ:私自身も、映画学校で授業を行う際にサンプルとして引用する作品をオンラインで購入するなど利用していますが、DVDとあまり変わらない価格で購入しEメールで届くという実体のなさは味気ないなと感じてしまいます。そして、生徒たちもDVDという実体のあるものが欲しいと言っています。

富岡:私もそれは感じます。先日韓国に行きDVDを購入しようと思ったら、ほとんど売っていない。韓国映像資料院などに行けば修復された古い作品のDVDは売っていますが、一般の店頭では全く売っておらず、それには驚きました。時間もあまりないので、まとめに入りますが。今回上映する『花の咲かない果実』は、香港とマカオを舞台にしたある女性の話です。あなたの作品はオムニバスではないものの、一人の人に焦点を絞るというより、複数の人物が葛藤していく中で見えてくる社会の状況、位相を描いており、監督がそこにとても興味を持っているということがよくわかります。『花の咲かない果実』では、外国人からはあまり見えてこない香港とマカオの関係について、それこそ商業映画では描かれていないものを感じることができる。これこそインディペンデント映画だなということだと思います。今後も〈影意志〉とCO2で何か一緒にやっていけたらなと思っています。最後に何かあれば。

チュイ:自分の作品を上映する場をいただけて感謝しています。必ずしも全て傑作ではないかもしれませんが、それぞれの時代を撮ったものには観てもらう価値があると思っています。映画の価値を広めるためにも若い人たちに観てもらうことは重要だと思いますが、若い人たちの興味はハリウッドの大作に向いています。それだけでは映画に対する興味を育てられません。自主映画を撮り始めた頃は、自主映画が商業映画に何かしら影響を与えられるかもしれないと思っていましたが、上映する場所、興味のある人の減少など世界が変わってきました。それでも、自主映画を観たいという人たちは存在すると思います。そういう人たちは日本にもいると思うので協力することで可能性が広がるのではと考えています。

富岡:CO2をやってきて私が思うのは、日本の若手監督たちが撮る自主映画に欠落した核が、あなたの作品にはあると思っています。日本の自主映画には「社会」がないのが一番の不満なんです。今回の上映企画である〈JISYU〉という企画は、なぜその時代にそれを撮らなければいけなかったのかに目を向けたものです。その時代、例え社会的に大きな出来事がなくとも、自主的に撮るものですからそれは作品の中に存在するはずです。あなたの場合はそれが香港とメインランドの関係もその一つですが、それは表現したいというより出ざるを得ないですよね。現実に目の前にあるわけですから。

チュイ:技術が進歩し映画は撮りやすくなりましたが、昔の作品は画質はあまり良くなく技術的にも拙い部分はあるかもしれないけれど、今の若者に観せても刺激になるものだと思います。

注釈

(※注1)
『愛人/ラ・マン』はマルグリット・デュラスの自伝的小説を原作にフランスの監督ジャン=ジャック・アノーが1992に映画化したイギリスとフランスの合作映画。舞台はベトナムだが、主演のフランス人の少女が恋をする中国人青年に香港のスターだったレオン・カーフェイが抜擢された。

(※注2):アン・ホイ(許 鞍華)は1947年生まれの香港を代表する女性監督。『獣たちの熱い夜 ある帰還兵の記録』(1981)や『望郷/ボートピープル』(1982)『傾城之恋』(1984)など、まさに香港ニューウェーブ監督の中心的存在で、チョウ・ユンファら後の国際的なスターが主演した作品も多数ある。

(※注3):法律23条に対しての反対運動
2008年中国共産党政府は、香港特別行政区基本法23条に基づき国家の分裂や転覆を図る行為の禁止を定めた香港の法規制定を計画したが市民が街頭に出て50万人に上る反対デモとなった。 その際に中国政府は香港のメディアがデモを煽ったとして香港メディアへの介入を強化しようとした。

(※注4):テレサ・コン(Teresa Kwong/鄺珮詩)
〈香港アートセンター〉のプログラマーで、IFVA (香港インディペンデント映画&映像祭)を主催するが2007年よりインディペンデント映画のプロデューサーとしても活躍。第7回大阪アジアン映画祭で上映されたツァン・ツイシャン(曾翠珊)の『ビッグ・ブルー・レイク』(2011)や第10回大阪アジアン映画祭で上映された『点対点』DOT 2 DOT [點對點]2014年( 監督 アモス・ウィー(黄浩然))もプロデュース。

(※注5): ユー・リクアイ(余力為/Yu Lik-Wai)はドキュメンタリー『ネオンの女神たち』(1996年)の他に監督・脚本作品「天上の恋歌」(1999年)もあるが中国本土のジャ・ジャンクー作品『一瞬の夢』から『罪の手ざわり』までほぼ全作品の撮影監督として知られる。アダム・ウォンは『ベッカム、オーウェンと出会う』(2004年)で長編デビュー。『魔術男』(2007年)で香港電影金像奨新人監督賞にノミネートされた。サイモン・チョン/鐘德勝は2008年にヴィンセントがプロデューサーを務めた『爱到尽 End of Love』を監督。

(※注6):『乱世備忘~僕らの雨傘運動~ Yellowing』監督チャン・ジーウンは昨年2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭2017 アジア千波万波 小川紳介賞受賞した。昨年リム・カーワイが主催した香港インディペンデント映画祭でもシネ・ヌーヴォではチャン・ジーウン監督の短編『表象および意志としての雨』も上映された。

(※注7):イン・リャン(応亮)は中国の映画監督。最初の3本の長編映画(『あひるを背負った少年』『アザー・ハーフ』『好猫/グッド・キャット』)で中国の最も重要な若手映画監督の一人としての地位を確立した。富岡が担当していた頃の大阪アジアン映画祭のインディー・フォーラムで上記の長編3作品などを上映してきたし、重慶でイン・リャンが主催する〈重慶映画祭〉にはCO2助成作品『にくめハレルヤ!』を持って参加したこともありCO2事務局ともつながりの強い北京の中国人監督だが、韓国のチョンジュ(全州)国際映画祭用に製作した作品が中国政府に問題視され、現在は香港在住で作品を製作している。

(※注8):「香港独立電影節/On Earth We Stand2008-2017」この10年の香港インディペンデント映画の上映状況と製作の状況など〈影意志〉を中心とした動きをインタビューなどでレポートした書物。中国語と英語が併記されている。

〈NOTE〉

私がヴィンセント・チュイ氏と知り合ったのはもう15年も前です。2003年の香港国際映画祭に大阪芸大出身の監督たちの16ミリや35ミリ作品を引っ提げて香港国際映画祭のプログラマーのジェイコブ・ウォン氏に招かれ、テレサ・コンらが運営する香港アートセンターが香港国際映画祭の特集〈独立時代〉Age of Independents PLANET・EROS:NEWJAPANESEINDEPENDENTCINEMA と題して山下敦弘の『どんてん生活』、元木隆史の『プウテンノツキ』など関西のインディペンデントを瀬々敬久氏らのピンク映画と並べて上映したのです。
この映画祭への参加は私には大いに刺激的な体験となりました。不思議なことにその我々のアテンドを担当したのが後にテレサがプロデュースする『ビック・ブルー・レイク』の監督のツァン“ジェシー”ツイシャン(曾翠珊)だったのです。“ジェシー”は香港の若手女性監督として大阪アジアン映画祭の審査員まで務めるようになりましたが、私にとっては香港国際映画祭の我々の世話係だった。
その時に香港でもインディペンデント映画を作っている監督がいると確かジェシーに連れて行かれたのがヴィンセントの制作スタジオでした。ヴィンセントはすでにデジタルで作品を制作しており、その時にもらったDVDが今回の特集でも上映した『憂いを帯びた人々』だったのです。15年前にもらったそのDVDは私の家の棚に眠ったままでしたが、今回ようやく日本語字幕付けて上映することになったというわけです。15年前ということはもちろんまだCO2は始まっていませんが、日本でもミニ・DVテープで映画らしきものを制作する若者は生まれていました。
今ではテープですらなくデジタルはつまりは形の見えないデータでしかありませんが…。
いずれにせよ香港だけでなく2000年代初頭にはドイツの日本コネクションや韓国のプチョン国際ファンタスティック映画祭、そして全州(チョンジュ)国際映画祭に大阪の自主映画の紹介のために回ることになります。この全州国際映画祭のプロジェクトで「三人三色」というのがあってこれはアジアの若手監に500万ほどの製作費を出して次年の全州(チョンジュ)国際映画祭までにデジタルでオリジナルの作品を製作し、映画祭で発表するというものでした。これを担当したのがチョン・スワン氏で、彼女は早稲田大学で松竹蒲田の小市民映画の研究をした女性研究者でしたが、このプロジェクトこそCO2を立ち上げる時に参照したものです。こうしてCO2は13年続けたわけですが、告知したように本年度からは製作助成はしばらく待って、まずは過去の自主映画がどういった背景で製作されてきたか、またその時代の若手監督がどういった考えだったのかを再検証しようということになったのです。
このヴィンセントとの対話でもわかるように自主映画を製作することは困難ですが、ヴィンセントをはじめ香港の若手監督たちが映画を撮る時の動機や考え方がやはり作り手が、ただ単に監督が好きな〝世界観〟とやらを自己表現をしたいということではなく、対社会、現在の自分たちの状況も考察した上に、映画を見てきた教養を生かした意図が明確に見えるということでしょうね。〝世界観〟というのは私だけの中にあるものではなく〝他者〟の考えや批判、批評とも向き合える、考えぬかれた〝世界〟でなければ観客には通用しない。現代の香港やマカオの状況(政治的・経済的)をテーマとして直接描かなくとも、そこに生きると言うことは、おのずとその影響を受けるはずなのです。それに対して現在の日本の自主映画は、〝私〟の個人的な〝想い〟しかなく、〝他者〟や〝世界〟を見る視点、つまりは〝私〟を遠くから見る視線すら失い縮小しつつある。これが日本の自主映画が壊滅的につまらなくなった理由だと言ってもいいでしょう。JISYUの特別海外篇はそういった意味でも我々が自主映画を見る視線を根本的に考え直さねばならないということを教えてくれるのです。(CO2事務局長:富岡邦彦)

特別販売物

『香港独立電影節/On Earth We Stand2008-2017』1000円(中国語/英語)
On Earth we stand Book
『花の咲かない果実』DVD 1000円(英語字幕のみ)
Fagg DVD
『狭き門から入れ』DVD 1000円(英語字幕のみ)
3Narrow Gate DVD

※以上ヴィンセント・チュイに関する書物とDVDはCO2事務局にて販売中
(中国語、英語のみです。日本語の翻訳はありません)
郵送での購入をご希望の方は、CO2事務局(info@co2ex.org)までご連絡ください。追って指定口座をお知らせしますので、入金確認後、発送させていただきます。なお、郵送の場合は別途500円(送料)が必要となります。