2018年1月10日

JISYU Vol.4レポート

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JISYU vol.4 〈自主映画アーカイヴ上映〉
映画王と早大シネ研特集

報告者:田中晋平(神戸映画保存ネットワーク客員研究員)

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昨年12月9、10日に神戸・大阪で行われたJISYU Vol.4〈自主映画アーカイヴ上映〉では、「映画王と早大シネ研特集」と題し、早稲田大学シネマ研究会出身の映画作家たちが手掛けた6作品が上映された。今回の特集は、早大シネ研時代に制作した『リトル・ウィング』(1981年)で第5回ぴあフィルム・フェスティバル一般公募部門に入選し、80年代の自主映画を牽引した、脚本家としても知られる島田元監督が、昨年公開がはじまった『LOCO DD 日本全国どこでもアイドル』を田中要次、大工原正樹と三人で監督したことが背景にある。同作の神戸映画資料館での上映が決まった際、ぜひ過去の自主映画も上映させていただきたいと島田監督にお願いし、本特集の実現に至った。

まず、神戸映画資料館のプログラムでは、高城千昭『どてらワルツ’81』(1981年)、井川耕一郎『ついのすみか』(1986年)、島田元『リトル・ウィング』が上映された。翌日大阪のプラネット・プラス・ワンでは、島田元『殺人教室』(1983年)、高橋洋『ハーケンクロイツの男』(1988年)、竹藤恵一郎『サメロメ』(1982年)が上映され、両日ともに島田元監督のトークが行われた。なお10日の上映には、竹藤監督が来阪され、『サメロメ』の上映前に貴重なコメントをいただけたことも付記しておきたい。上記の80年代に制作された作品を含め、早大シネ研出身の映画作家たちの活動は、東京における自主映画・自主上映シーンに大きな足跡を残したが、関西では(PFFの特集や京大西部講堂などで上映される機会はあったそうだが)その詳細が知られていなかったと思われる。以下では、トークの際に島田監督から伺った、主に80年代の早大シネ研の活動、及びOBたちが結成した高田馬場TomTom倶楽部について記しておきたい。

もともと、映画制作より鑑賞グループとしての活動が主だった早大シネ研が広く知られたきっかけは、石井めぐみが出演した『ぼくの青い鳥』(1978年)である。自主映画で等身大の学生生活や青春を描き、評価された本作のスタッフに山川直人も参加しており、彼は『ビハインド』(1978年)でオフシアターフィルムフェスティバル’79に入選、一挙に自主映画シーンの旗手として注目される。またシネ研内部には、後にイメージ・フォーラムに入る池田裕之らがつくった「タコス」を皮切りに、「オデッセイ」、「パトス」、「観覧車」、「米英」、「クリープ」などのグループが生まれ、それぞれ映画制作班や鑑賞班として活動、機関誌も発行していたらしい。そして、81年に制作された『リトル・ウィング』は、ジミ・ヘンドリックスの音楽を愛し、つげ義春に憧れる漫画家志望の主人公の妄想青春物語であり、多様な要素が随所に詰め込まれた本作は、当時寺山修司に激賞された。PFFには同年の『どてらワルツ‘81』に加え、その後も『サメロメ』、『ついのすみか』など、早大シネ研から入選作が多く生み出されていく。これらのシネ研による8ミリ映画を上映する場としては、大学内の大隈講堂で年二回、春と秋に「早大シネマ研究会フィルム・フェスティバル」が実施され、松田政男やかわなかのぶひろ、大久保賢一などを招き、批評される機会も設けられていた。さらに当時の早稲田の学祭で、加藤泰や鈴木清順、根岸吉太郎、マキノ雅弘、澤井信一郎などなどを囲み、山根貞男を進行役に招いて大教室でシンポジウムも開催された。

シネ研OBには、大学卒業後にそのままプロの映像制作の現場などに入った者もいるが、並行して自主映画の制作を継続した人々も多い。西山洋一と片嶋一貴が83年頃に結成した「高田馬場TomTom倶楽部」に、のちに島田監督や高橋洋らも参加し、次々と映画を制作、「高田馬場TomTom倶楽部上映会」(島田元主催)や「映画の王道上映会」(高橋洋、塩田明彦主催)といった上映会を、六本木にあったOM、恵比寿のスペース50などで開催する。また、島田監督が編集長となり、同人誌『季刊 映画王』が89年に発刊される。同誌には、森崎東や大和屋竺のロング・インタビューが掲載されているほか、立教大学のパロディアス・ユニティのメンバーたちも寄稿しており、黒沢清がのちに制作する映画『カリスマ』の原型となる企画を誌上発表してもいる。執筆陣の中心が作り手であり、当時のシネフィル的な映画文化を支えた蓮實重彦らの『リュミエール』、あるいは稲川方人やシネ研の後輩らが手掛けた『セ・デュ・シネマ』のような誌面とも大きく異なる、バラエティに富んだ雑誌だった。島田監督のご厚意により、今回『映画王』の第4号のみ会場で販売させてもらうことができた。
ただ、こうしたOBの活動も含めた広がりを見せ、映像制作などの分野で活躍する人々を輩出した早大シネ研だが、現在は存在していない。今回島田監督から伺えた範囲だけではない、異なる世代のシネ研の活動についても、第2弾、第3弾の早大シネ研特集を実施し、作品の上映とともに明らかにできればと考えている。

最後に冒頭で紹IMG_9011介した『LOCO DD』に触れておきたい。現在も各地域で上映が続いている本作のパンフレットには、高橋洋や根岸洋之らかつてのシネ研のメンバーが寄稿しており、島田監督が当時からアイドルに熱狂していた様子が語られている。トークの際、『LOCO DD』と『リトル・ウィング』や『殺人教室』の繋がりを質問したところ、監督は子供の頃に『パリの恋人』(1957年)を観て、オードリー・ヘプバーンに魅了された経験を例に挙げられて、単純に「アイドル」というものよりも、映画を通じて常に俳優を輝かせることに腐心してきたのだと語られた。『殺人教室』で、殺し屋として成長を遂げ、華麗なアクションを披露する主人公まちこの姿は、『LOCO DD』で静岡のアイドル3776の井出ちよのが、フィクションとドキュメンタリーの境で歌い踊る姿と確かに結びついているのだ。さらに監督が語られた、(AKBやももクロなどの場合とは違い)ローカル・アイドルの活動もインディペンデントそのものであり、彼女たちを自主映画の作家として撮ることに意義を感じていると語られた点も示唆的だった。かつてのシネ研時代の映画制作とまさに地続きの場所に『LOCO DD』という映画が位置付けられることを伝える、貴重な証言を伺えた。