2017年11月20日

JISYU Vol.1レポート

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JISYU vol.1 〈自主映画アーカイヴ上映〉
万田邦敏とパロディアス・ユニティ(1970年代東京)

報告者:田中晋平(神戸映画保存ネットワーク客員研究員)

「自主映画」、「自主上映」と呼ばれる活動は、各時代における映画制作のフォーマットや上映環境の中で、どのように展開されてきたのか。現在からその歴史を把握しようとする場合には、しかし、さまざまな困難が付き纏う。たとえば、1970年代後半の日本では、映画産業の斜陽化が進む中、8ミリなどによるいわゆる自主映画ブームが興り、各地でその上映活動も頻繁に行われていた。既に指摘されているように、それは60年代以降のフォークやロックなどの音楽の世界で勃興していたパーソナルな文化が、映画のムーヴメントにおいても到来したという側面をもっている。さらに後にはじまる「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」などを通じ、自主映画出身で商業映画の世界でも活躍する監督たちが現れる。しかし、著名な映画作家たちが制作した自主映画のタイトルなどは、比較的知られているものもあるとはいえ、現在では当時の8ミリや16ミリの作品自体に接する機会がほとんどない。また、作り手たちが大切にフィルムを保管している場合もあるが、いまや映写機にかけることさえ困難になっているフィルムも少なくないようだ。既に行方が知れなくなったフィルムもある。
IMG_2334今回はじまった「JISYU」〈自主映画アーカイヴ上映〉という企画では、過去の自主映画のフィルムを上映し、さらに作家を招き、当時の映画制作やその上映活動、時代状況などを詳しく伺っていく。日本における「自主映画」、「自主上映」の歴史を辿り直し、関係者の証言や資料を再発見するだけでなく、現在の映画制作に関わる若い人々にも、当時の8ミリフィルムなどに接してもらう場を提供すること。その第一弾として、2017年9月16日に神戸映画資料館、17日に大阪のプラネット・プラス・ワンで、「万田邦敏とパロディアス・ユニティ(1970年代東京)」と題し、万田邦敏監督の初期作品の上映とトークが行われた。具体的に挙げれば、神戸では、『西風』(1977年)、『四つ数えろ』(1978年)、『大回転』(1990年)を上映し、大阪では、監督の処女作である『メイド・イン・76』(1977年)、『SCHOOL SOUNDS』(1977年)、『女の子はみんなふたごである』(1980年)、黒沢清監督と共同で演出した『逃走前夜』(1982年)の4本を上映した。万田監督の『UNLOVED』(2001年)や『接吻』(2008年)、そして、『イヌミチ』(2014年)や『シンクロナイザー』(2017年)以前の今回上映された8ミリ作品には、まさに生成途上にある映画作家の軌跡が刻まれていたといえる。両日ともに台風18号の接近する中での催しになったが、この機会に監督の8ミリ作品に接したいという方々が来場され、盛況を呈した。16日の神戸では、4月に急逝したジョナサン・デミの映画の上映とともに、万田監督による追悼講演も行われ、17、18日の大阪では、監督にCO2主催の俳優・監督に向けた特別ワークショップの講師も引き受けていただいた。なお筆者は、監督のトークで聞き手をつとめた(17日は、プラネット・プラス・ワンの富岡邦彦もトークに参加した)。

よく知られているように、万田監督は76年に立教大学に入学し、自主制作映画サークルのSPP(セント・ポール・プロダクション)で一年先に入学していた黒沢清監督と出会い、やがて「パロディアス・ユニティ」という伝説的な集団を結成する。また立教では、蓮實重彦氏による「映画表現論」の授業から大きな影響を受ける。先頃発売された『ユリイカ』増刊号「総特集・蓮實重彦」に収録された、万田監督と黒沢監督、そして立教大学の後輩にあたる青山真治監督の座談会でも、当時の蓮實氏の授業が回顧されている。在学中に制作されたものを含む今回の8ミリ作品には、いわば蓮實氏の教えを作り手として吸収した成果といえる側面もあろう。ただし、トークでは大学以前に、もともと映画好きだった両親の影響もあり、8ミリカメラでホーム・ムービーの延長として撮られたフィルムなども存在していたことから伺った。また、映画制作に向かう決定的な体験の一つとして、高校時代に新宿紀伊國屋ホールでゴダールの映画(『女と男のいる舗道』、『中国女』、『ウィークエンド』、『東風』)に接したことがあるようだ。今回上映した作品の端々にも、ゴダールからの直接的・間接的影響を認めることは難しくない。他方で(『四つ数えろ』の劇中の台詞にもあるように)ヌーヴェル・ヴァーグの時代に間に合わなかった世代でもある万田監督たちは、テレビ文化の中で育ち、かつて放送されていた英国のドラマ『プリズナー No.6』(1967-68年)などからも強い影響を受けているという。

そして、70年代後半から80年代初頭にパロディアス・ユニティの面々は数多くの映画を制作していくことになるが、とりわけ「学園活劇映画」とでもいうべき大学が舞台となったアクション作品、黒沢監督の『SCHOOL DAYS』(1978年)や『しがらみ学園』(1980年)、万田監督の『SCHOOL SOUNDS』、『逃走前夜』などは、同時代の自主映画と比較しても圧倒的な存在感を放っていた。やがて『しがらみ学園』は、81年のPFFで入選するのだが、当時の彼らの作品は、どのような場所で上映され、観られたのだろうか。SPPによる大学内での上映会や恵比寿にあったスペース50などで自主上映される機会はあったようだが、当時は蓮實氏の影響下で、監督自身も「排他的だった」と回顧する集団を形成していたため、他の自主映画の作り手と交流をもつことは少なかったという。PFFの前身である77年の「ぴあ展」を訪れた際も、同時代の作品などにはあまり関心をもてなかったようだ。そして、他大学の映研と合同で行った、上板東映における自主映画のオールナイト上映の際、当日のゲストだったかわなかのぶひろ氏や鈴木志郎康氏に黒沢監督の作品が絶賛され、イメージ・フォーラムでパロディアス・ユニティの特集が組まれるに至る(この特集から「パロディアス・ユニティ」が彼らの集団の名称として採用されていったらしい)。さらに80年代中盤以降になると東京以外の地域でも、おそらく蓮實氏とパロディアス・ユニティとの関係が知られていったこともあり、作品が上映される機会が生まれたという。

82年にディレクターズ・カンパニーが設立され、気鋭の自主映画監督として黒沢監督も参加し、『神田川淫乱戦争』(1984年)や『女子大生・恥ずかしゼミナール』(1985年)を作る。後者は、当時のにっかつが自主映画作家らを登用し、一千万円でロマンポルノを撮影する企画だったが、撮影・編集まで進められた段階で、にっかつからお蔵入りを宣告される。後に『ドレミファ娘の血が騒ぐ』にタイトルを改称して公開されることにもなるそれらの経緯については、当時の『イメージ・フォーラム』誌に掲載された万田監督の「製作ノート」に詳細が記されている(万田邦敏『再履修 とっても恥ずかしゼミナール』港の人、2009年に再録)。当時は、自主映画とその作り手たちが社会的にも大きな注目を集めたが、その他の多くの自主映画出身の監督達も含め、8ミリの自主映画と35ミリの商業映画のはざまで進むべき道を模索していた。万田監督もプロの現場で経験を積みながら、仲間たちと90年に『大回転』という8ミリ作品を発表する。

一方で80年代の東京では、次々とミニシアターが設立され、過去の映画作家のレトロスペクティヴも盛んに行われていた。またビデオが普及し、それまで観ることが困難だった作品にも触れられる映画環境が整えられた時期でもある。印象的だった監督の発言は、こうした現在に至る映像視聴環境の整備が、映画に対する飢餓感を消失させた面があると述べられたことだ。また、自主制作の現場でもビデオカメラが活用され、同時録音が容易になり、パソコンでポストプロダクションまで可能になって、映画館で公開されることも稀ではなくなっている。70年代の8ミリ映画のブームの時代と比較すれば、同じ自主映画やインディペンデントと呼ばれる映画を制作していても、その状況が大きく変容したことは間違いない。しかし、万田監督はむしろ映像のハードウェア面の変容が、内容までを変えていないことを強調する。いまの学生も70年代の学生達と同じように、大学での日常生活や、他愛のない恋愛の様子を撮り続けている。あるいは、ほとんど映画を観ていない若者が、ときに驚くべき自主映画を制作してしまうことを、まさにCO2の選考や大学などの映画教育の現場で目の当たりにしてきたという。デジタル技術の浸透が映画制作と上映環境を変化させたことは間違いないが、「自主」と呼ばれる映画の根底にある初期衝動には、良くも悪くも変化がないのであり、その点を悲観する必要もないと監督は考える。現在まで自主映画との深い関わりを維持してきた立場からの重要な指摘だった。
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むしろ問われていくのは、70/80年代の自主映画の作家たちも踏み惑ったように、最初の自主映画による達成を経た後にも映画制作を継続していく理由、その次の一歩を踏む過程なのかもしれない。『メイド・イン・76』の時代から40年が経過し、変わったものと何も変わらずにいるものは何か、それを若い映画作家たち自身が確認していくためにも、かつての自主映画に接する場を維持せねばならないだろう。今回のようにCO2のワークショップと連動した上映の機会が、新しい映画を生む現場にもなりうることを願う。

既に「JISYU」の企画の第二弾として「海外編 ヴィンセント・チュイ〜香港インディペンデント映画の夜明け」が9-10月にプラネット・プラス・ワンで行われた。次回は、神戸・塩屋の旧グッゲンハイム邸の管理人としても知られている森本アリ氏が、ベルギー留学時に作った8ミリ作品を即興演奏とともに上映するイベントが、11月25日に神戸発掘映画祭の一部として行われる。また12月9、10日には、パロディアス・ユニティとも親交が深かった早大シネ研による8ミリ作品を神戸と大阪で上映する。

 

最後になりましたが、神戸・大阪と三日間に渡る過密なスケジュールの中で、トークやワークショップを行なっていただいた万田邦敏監督に改めて感謝を申し上げます。