2011年10月12日

レポート10/2(日)単発ワークショップ「映画入門講座(2)」

 

さて、今回も始まりました、<富長の日曜洋画劇場>こと【映画入門講座】。

昔の映画に比べて、現在の映画は「1カットに含まれる情報量が少なくなっている」
「映画をめぐるテクノロジーは進化しているけど、内容は退化しているのではないか」

本当に?自由自在のカット割りやVFX、CGでどんどん凄い映像がつくられて、3Dも当たり前のご
時勢。
昔はよかった的な懐古主義じゃないの?そんなギモンをもたれる方もいると思います。
では検証してみましょう、というのが今回の趣旨です。

その前に映画誕生の歴史から映画とは何かを考えていきます。リュミエール兄弟が映画を上映したのが1895年。映画ができてまだ116年しかたっていないんですね。

エジソンが作ったキネトスコープとリュミエール兄弟が作ったシネマトグラフの違いは何でしょうか。
キネトスコープがコインを入れて一人で覗き窓から映像を観るものたっだのに対して、シネマトグラフは撮影と映写ができ、複数の人間で1つの映像を共に見る“上映” を前提とした機械でした。

最近では「映画を観る」といっても様々な手段があり、映画館に足を運ばなくてもソフトをレンタルしたり、PCにダウンロードして観たり、さまざまな方法があります。
「映画を観る」という行為は本来、年齢、生活環境の違う他人と一緒に観ることによって、理解の差を感じたり、社会を知るということでもありました。
「映画を観る」こと自体がパーソナルな体験になりがちな現在、映画自体も自分たちの小さな世界や小さい感情の揺れを表現することが多くなり、パブリックなものからパーソナルなものに変わって来ているのは皆さんも感じるところではないでしょうか。

1985年の映画の誕生から20年余りのうちに、映像に“物語”が導入され、出来事を順番に追って行く「足し算のストーリー」から、グリフィスの生み出した手法によって「掛け算のストーリー」へ変わっていきます。

グリフィスが生み出したのは、2つの世界をぶつけることで映像に写っていない別の意味を表現する、物語を語る、 “モンタージュ”と言われる手法で、現在に至るまで多くの映画がこの手法を元にしたり、逆に脱しようと戦っているのはみなさんもご存知のとおりです。

さて、冒頭の疑問について、今回はグリフィスの『小麦の買占め』(1909)を16ミリフィルムで上映。
23シーンからなるこの映画をシーンに区切って細かく観て行きました。
貧しい3人の家族、買占めにより小麦相場の操作を企む小麦王。豪勢な食べ物が並ぶ金持ちたちのパーティー。小麦価格の高騰により、パンも買えない農民たち。ストーリーの結末は書きませんが、こういったシーンを対比させることで主題を浮かび上がらせています。
わずか23シーンで端的に語られた“階級の物語”。

もちろんこの作品1本が冒頭の回答になる訳ではないですが、この講座では映画の表現の豊かさとは何かについて、毎回検証していく予定です。

1927年からトーキーが始まり、いよいよスターの時代になって行きます。
それはまた次回の講義となります。

参加すると、映画の見方が必ず変わる<富長の日曜映画劇場>こと映画入門講座。
次回は10/16(日)19時?開催します。
お申込、お問い合わせはこちらまで。

★上の写真は今回『小麦の買占め』の上映に使用した18ミリの映写機です。